偉大なゴルファーの名言レッスンコーナー その20 2011年5月31日火曜日 15:48

Never Up Never In(届かなければ、入らない)      トム・モリスSr(1821~1908)

 トム・モリス・シニアは全英オープン2回目から通算4回優勝していて、いわばプロゴルファーの始祖ともいうべき人物です。プロゴルファーであり、グリーンキーパー、キャディーマスター、はたまたコース設計者としても始祖といえる人です。そうそう、グリーンのカップの大きさを統一したのもこの人です。セントアンドリュース市の公共水道の配管を切って土留めとしてカップに使ったのが始まり。それがこの直径4,25インチ(10,5センチ)の大きさが微妙な勝負の綾を演出するのに役立っていますが、この大きさは世界中のゴルフ場の共通の大きさです。
 ともかく、そのカップに入れるためには「届かなければ、入らない」のです。どんなにいいストロークをしてもカップまで届かなければ、100年たっても入らない。これはゴルフという競技が継続する限り、永遠に通用する至言といえるでしょう。三平もカップの縁にあと1ミリ届いていれば・・・というケースに何度泣かされたことでしょう。
 青木功プロは全盛の頃、カップの30センチ先に打つというパッティングで、名手の名をほしいままにしました。まさに届きすぎるくらいに打つ名人でした。

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1打に泣いた今田竜二と室田淳 2011年5月30日月曜日 16:13

 米国レギュラーツアー、バイロンネルソン選手権でてっきり今田竜二が優勝したかと思いました。最後の17番、18番とボギーとは、トホホ・・・。残念でした。1打差の3位。これも立派な成績ですが、かえすがえすも惜しかった。やはりパッとですね、ゴルフは。パット イズ マネーです。米国ツアー2勝目ならずでしたが、今年の今田は何かやりそうです。ショットはいいので、パットの調子さえ戻ればひと暴れするかもしれません。今回の開催コースは、TPCフォーシーズンズ・ダラスですが、美しいコースです。設計が他のコースと違い、大勢のプロゴルファーの意見を設計コンセプトの中に入れている珍しいコースです。最初の基本設計は、以前T・ワイスコフとパートナーを組んでいたJ・ムーリッシュが基本図面を描き、これにバイロンネルソンやベン・クレンショーなど数名のプロがアドバイス。その後改造をしたのですが、こちらには、DA・ワイブリングら数名のプロゴルファー達がアドバイス。そのほとんどを組み入れてスティーブ・ウォルファードが図面に落としたコースです。様々なプロフェッショナルの英知が盛り込まれている綺麗なコースです。三平はこのアメリカのプロ達が作った罠を打ち破って、ここで優勝してほしかったです。残念!
 一方、全米シニアプロでは、首位に立っていた室田が、15番でボギーをたたいてしまい、プレーオフに残れず3位に終わってしまいました。いつも明るく周囲を笑わせているキャラクターの室田が、シニアのメジャーで勝ったら、どんちゃん騒ぎ間違いなしと思っていた矢先でした。彼とはハワイのタートルベイシニアのプロアマでご一緒した時に初めてお会いしましたが、とにかく楽しいプロゴルファーです。優勝したのが61歳の我らがトム・ワトソンですからあきらめがつきますが、それにしても惜しいですね。こちらも開催コースが、ケンタッキーのバルハラGC。ライダーカップが米国で開催されるときの常連開催コースです。ここでの優勝も価値があります。
 それにしても1打差の重みを痛切に感じた両プロだったと思います。捲土重来次回は優勝と行きましょう。

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恐るべし野村敏京 2011年5月26日木曜日 14:38

 また豪快な新人女子プロが誕生しましたね。中京ブリジストンレディーストーナメントで2位に3打差をつけて初出場、初優勝。4日間首位をキープし完全優勝まで遂げてしまいました。恐るべし新人の登場です。スイングも力強く、プレースタイルも堂々としたものです。もともと米国でデビューしたという異色の新人です。宮里藍よりも3か月ぐらい遅い、18歳での優勝は見事でした。やはりアメリカのコースで戦っているだけに、パワーフルな感じがします。そしてアメリカのコースのグリーン回りは、ラフも長く、アンジュレーションも強いので非常に難しいのですが、そんなコースでもまれているせいかアプローチがうまく、ショットの選択も迷いがないように見えます。このあとも米国と日本のツアーの両方を掛け持ちするようですが、かなり期待ができるプロだな、と三平は見ました。他の女子プロもうかうかできないぐらいのスケールの大きさを感じました。横にいたカメラマンがスター性はどうかね?と聞くので、それはこれからでしょう、とは答えておきましたが、どうなるでしょうか?楽しみです。
                            

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滑り込みセーフで石川遼全米オープン出場 2011年5月24日火曜日 16:13

 来月開催される全米オープンに石川遼の出場が決まりました。第一基準として5月23日の世界ランキング50位までの選手に与えられる出場枠に、石川遼は、49位で滑り込みセーフとなったわけです。これより早く決まっていたのは、昨年の日本ツアーの賞金ランキング1位と2位の選手で世界ランキング75位までの選手ということで藤田選手が出場権を獲得しています。このほか23日に茨城県の茨城GCで開催された予選会の上位5選手にも与えられ、こちらは久保谷健一選手が1位で出場権獲得しています。(他の4選手は海外の選手でした。)最後に池田勇太は全米オープンの前週までの世界ランキング与えられる枠を狙うことになりました。
 ただ今年の全米オープンは、ただでさえモンスターと呼ばれるほどの難度の高い名門コングレッショナルGCで、今年は7500ヤードを超えるヤーデージにしているからさらに厳しい戦いを強いられるコースとなっています。優勝ラインをイーブンパーとしているといいますから、その難しさがおわかりでしょう。ちなみに先週の日本のトーナメントのとおとみ浜松オープンの優勝スコアは、20アンダーでした。皆さんはこの違いをどう思われますか?
 でも出るからにはとにかく優勝を目指してほしいものです。ラフ長く、フェアウエイが極端に狭いですから、案外シュアなプレーをする藤田選手あたりに期待するのも面白いかもしれないですね。三平がもしプレーしたら18ホール全部まわりきらないうちにボールが無くなるかもしれないです。だから出ません。あ、当たり前か、失礼しました。

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初優勝はおめでたいが・・・・。 2011年5月23日月曜日 13:27

 先週開催のとおとうみオープンは、石川遼がプレーオフに残るまでバーディーラッシュで攻めたので久々に盛り上がった大会になりました。プレーオフに残ったのは、プロ入り8年目の小林正則と最終日64でラウンドした石川遼。石川はこの試合に勝てば、全米オープン出場も可能になるため何とか勝ちたかったようですが、一方の小林には初優勝がかかっていました。攻めの気持ちが最後まで途切れなかった小林が勝り、初優勝を飾りました。先週に続いて初優勝となり、またゴルフ界も戦国時代の様相を呈してきました。
 しかしここで気になるのは、トーナメントコースの難易度についてです。バーディーラッシュも見ている側にとっては面白いのですが、果たしてこれでいいのでしょうか?という疑問がちょっと残ります。つまり、今回の開催コースは、美しく、しかも池がふんだんに配置されていますので、アマチュアにとってはとても楽しいコースです。しかし気になったのは、9番ホールパー5の石川遼のイーグルでした。彼は実は、隣のホールへわざわざ打っていき、隣のホールかららくらく2オンしピンそばについたのです。ここは三平もうーんとうなってしまいました。最初から彼は隣のホールを狙って打って行ったのです。9番ホールのフェアウエイからだと池越えになり、リスクを背負うことになりますが、隣のホールからは、正面にグリーンが見え、リスクも少ないという判断です。こういうコースはごくまれにありますが、いかがなものでしょうか?セントアンドリュースオールドコースも、18番ホールでは、1番ホールのティーのほうに打ち、そこからグリーンを狙ったほうがリスクが少ない、というのはありますが、でもあそこはほとんど共有フェアウエイのようなものです。
 我々ゴルフファンが見たいのは、アマチュアにとってはとても難しいコースを、プロの最高の技術と精神力でいとも簡単に突破し、難なくバーディーを奪取した時です。これを繰り返し、何度も奇跡のショットで優勝をしてきたのが。タイガー・ウッズです。だからまたタイガーのスーパーショットを見たくなるのです。
 しかし今回のコースは、トーナメントプロにとってバーディーは当たり前、パーでは面白くないコースです。ミスしなければ上位にきます。試合展開は面白いかもしれませんが、プロの技術をどこまで評価していいかわかりません。
 やはりトーナメント開催コースは、プロもっと考えさせえるコース、悩ませるコースを選定してほしいと思います。

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ゴルフの世界ランキングは日本発だった、というのはご存じでしたか? 2011年5月20日金曜日 15:25

 5月で発表されるゴルフの世界ランキングでタイガー・ウッズが、ついにベスト10から陥落し、11位になることが決まりました。石川遼も50位をオーバーし、6月の全米オープン出場が危うい状態です。池田勇太も石川よりも3つぐらい下になるでしょう。この世界ランキングは世界各国で開催されているゴルフツアーの順位にポイントを付け、毎月一定のタイミングで集計して決められます。米国PGAツアー、ヨーロピアンツアー、ジャパンツアー、オーストラリアンツアー、アジアンツアーなどです。各トーナメントの順位によりポイント数が違い、メジャーをトップランクにして、トーナメントを格付けしているわけです。
 実はこのランキングは日本発の企画だったということをご存じでしょうか?今から20数年前のこと、記憶に残っている方もいらっしゃると思いますが、ソニーランキングというのがありました。世界のスポーツイベントのマネジメントを行っているIMGという会社があるのですが、その東京支社の方が、世界のゴルファーにランキングをつけ、表彰できないかな、という発想をしたのです。それでスポンサーとしてソニーに相談、了承をいただいて、ソニーランキングという名称とし、世界のゴルファーの表彰を行ったのです。それが次第に浸透し、アメリカのトーナメントで出場枠の基準にするには面白いということなり、さらに世界各国の強豪ゴルファー達が出場を目指すメジャートーナメントの出場基準に使われるようになったのです。つまりこのランキングの上位50位までのゴルファーには出場権を与える、という具合に、基準となっていったわけです。全米オープンなどは、やはり伝統がありますし、米国ツアーのシード選手及び米国国内での7予選会勝ち抜いた選手だけに出場権を与えていたのですが、世界各国のツアーに所属している選手にとって、この条件には対応しきれなくなり、出場規定をどうしたらいいか模索していた時期でもあったのです。もともと招待選手だけの大会のマスターズは、逆にこのランキングを受け入れやすい状況だったため、すぐ採用されたようです。不公平感もなく、わかりやすいということで今では世界各国で採用されています。これが日本発の企画だったというのも驚く方が多いのではないかと思います。

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身障者ゴルファーとの楽しいゴルフ 2011年5月9日月曜日 17:28

 何を隠そう、ボギー三平は、身障者ゴルファーの協会、NPO法人ジャパンハンディキャップゴルフ協会の理事長を仰せつかっています。片腕の人、片足の人、盲目の人、ろうあ者、脳梗塞で倒れた方(片麻痺の人)など様々な障害を持つゴルファー達が、楽しくゴルフをする会を設立したのです。昨日設立4年目に入り、設立コンペを開催しました。
 設立して間もないころは、見ていて三平も涙が出たりしたのですが、皆さんいつも元気で明るいゴルフをする人たちばかりなので、三平も楽しんでゴルフをしています。中にはなんと18ホールを70台でラウンドし、健常者と戦ってクラブチャンピオンになっている人もいます。この身障者は右手が肘下からなく、義手です。でもドライバーで260ヤード飛ばしますし、アプローチ、パットともプロ顔負けの技術を持っています。数年前、全米の大会に出場し、3位にもなっています。また全盲の方がいるのですが、奥様の介助でプレーし、なんと18ホールで100を切るスコアを出します。何にもハンディがない三平もびっくりです。こちらは世界ブラインドゴルフ選手権大会で準優勝という輝かしい戦績を残しています。もちろんこういう人たちばかりではなく、ハーフ60前後でラウンドする人たちもいます。でも彼らはプレーも早く、マナーも全く問題ありません。一番いいのは、本当に明るいことです。障害者になるまでに、かなり厳しい経験をしてきていますので、逆に人生に前向きになっている人たちが多いように思います。これが非常に大事なことのように思います。ゴルフを始める前は、何事にも消極的で、人と話すことも不得意だったと皆さん言います。これが思い切ってゴルフを始めたら、他人とワイワイすることが楽しくなり、何事にも積極的に取り組めるようになった、と異口同音に言うのです。ゴルフをやって本当に良かった、としみじみ言います。
 これを聞いて三平もうれしいですよね。この協会の目的は、なんのことはない、単に楽しくゴルフをするだけなんです。楽しくゴルフをして元気に過ごす、そしてお互い助け合い、ゴルフで人生を謳歌するところまで行ければ本望のように思います。一人でも多くの障害者の皆さんに、どんどん参加していただき、みんなで活発で楽しいゴルフの会になっていけばいいかなと思っています。健常者の皆さんも大歓迎ですので、是非ご連絡ください。

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セベが亡くなったなんて信じられない。  13:53

 三平が初めて目の前でセべ・バレステロスを見たのは、もう25,6年前になるでしょうか。当時栃木県東ノ宮カントリークラブが主催していたテレビマッチの撮影の時でした。毎回青木功プロが、ホストになり、世界の名選手を招待して真剣勝負のマッチプレーを行うイベントで、お正月に放送される当時の人気番組でした。前夜は、コースのホテルに宿泊し、関係者でわいわいやるのですが、セべは、その時、突然厨房に入り、青木さんのために手料理を作ると言い出したのです。本当かよ、と言いながら青木さんもまんざらではない雰囲気、そして任せておけ、とばかりにフライパンをもって自慢料理のオムレツを作ってくれたのです。これにはみんな驚きました。そして彼の器用さがこんなところにも発揮されているんだ、と感心しきりでした。翌日のマッチプレーが始まる前には、青木さんと一緒に3アイアンを使ってゴルフボールを下に落とさないで何回ボールを打つことができるか、と競争が始まりました。この時も、いつまでたっても終わりません。何度でも打っていられるのです。彼のボールコントロールのうまさは。こんなところで訓練されていたのですね
 聞くところによると3番アイアン1本で、ドライバーの飛距離を飛ばすことからバンカーショットまで練習していたといっていました。全英オープン優勝2回、マスターズ優2回は、当然のこと、他に世界各ツアーで50勝。日本オープンにも2連勝しています。
 彼はあまり裕福でないスペインの片田舎出身ですが、貧乏だったゆえ、クラブ買えずこんな練習で腕を磨いていたのですね。
 その後ジャマイカでの1995年世界ゴルフ選手権、セべがキャプテンを務めたバルデラマで開催された2002年ライダーカップの際に元気な様子を見ました。結局それが彼の雄姿を見た最後でしたね。とにかく世界で最も華のあるプロゴルファーだったと思います。
ご冥福をお祈りします。合掌。

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やはり不動裕理が50勝達成 2011年5月2日月曜日 13:40

 数年前のことだと思いますが、当時最強だった不動裕理が優勝したので、お祝いのお花を贈りたいがどこに送ればいいか?とある大企業の社長に頼まれたことがあります。トーナメントが続いていたので、月曜日も移動日だろうから、どこに送ればいいか確認のために電話したのですが、「いやあ、そんなお祝い、いいですよお」、と言いながら、「では、練習場に送っていただけませんか?私はこの練習場にいつもいますから。」という返事でした。よくよく聞いてみるとトーナメントが終わって家に帰った翌月曜日は、朝から晩まで家のちかくの練習場にいてクラブを握っています、とのことでした。毎週なの?と聞くとさらっと「そうですよ」と言ってました。「それで火曜日は移動日、水曜日は練習日、木曜日はプロアマ、金曜日から日曜日までトーナメント」、ということでした。つまりほとんど毎日ゴルフ漬け。しかも「スポンサーとの打ち合わせもトーナメント会場、クラブメーカーとも同じ、契約の手続きなどは(その当時は)、先輩プロが全部やってくれます」、などと平気で言っていたのです。「おいおい大丈夫かよ、そんなことで?」と三平も言ったことがありますが、「いや何か問題ありますか?」ということでした。
 さすがに50勝するだけのことありますね。これだけ頭も身体も全身が365日ゴルフ漬けなわけですから強くならないはずがないです。たぶん今後もこんな生活で、優勝続けるのでしょうね。

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河野晃一郎プロの頑張り。  13:20

 昨日の中日クラウンズで3位に入った河野晃一郎プロは、初参加ながら堂々としたプレーぶりでした。昨年初シードをとり、いきなり中日クラウンズというビッグトーナメントにも関わらず、ものおじしない戦いぶりには感心しました。実は彼は、東洋大学ゴルフ部時代、よく私の会社にアルバイトに来ていたのです。スポンサートーナメントのスターターや競技委員などをやってもらっていました。暫く見ないので、その後どうしたかなあ、などと思っていたら、昨年プロ入り後シードを取ったというニュースを聞いて、え?プロに受かっていたのか?しかも初シード?とびっくりした次第です。年齢も実況で何度も30歳です、と紹介されていたので、いつのまにか30歳か、などと思っていました。でも大きな大会でしかも最終日片山晋吾と一緒に回り、最後まで1打差で優勝争いに絡んで、堂々の3位。テレビで彼の活躍を見るなんてびっくりしましたね。彼はいつも明るく笑顔を絶やさず、周囲を和ませる性格です。ラウンド中何度も笑顔を絶やさずプレーしていました。いい雰囲気でしたね。今後も是非頑張ってください。三平が付いています。石川遼の人気に負けず、晃ちゃんも世界に羽ばたいてほしいものです。

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