セベが亡くなったなんて信じられない。 2011年5月9日月曜日 13:53

 三平が初めて目の前でセべ・バレステロスを見たのは、もう25,6年前になるでしょうか。当時栃木県東ノ宮カントリークラブが主催していたテレビマッチの撮影の時でした。毎回青木功プロが、ホストになり、世界の名選手を招待して真剣勝負のマッチプレーを行うイベントで、お正月に放送される当時の人気番組でした。前夜は、コースのホテルに宿泊し、関係者でわいわいやるのですが、セべは、その時、突然厨房に入り、青木さんのために手料理を作ると言い出したのです。本当かよ、と言いながら青木さんもまんざらではない雰囲気、そして任せておけ、とばかりにフライパンをもって自慢料理のオムレツを作ってくれたのです。これにはみんな驚きました。そして彼の器用さがこんなところにも発揮されているんだ、と感心しきりでした。翌日のマッチプレーが始まる前には、青木さんと一緒に3アイアンを使ってゴルフボールを下に落とさないで何回ボールを打つことができるか、と競争が始まりました。この時も、いつまでたっても終わりません。何度でも打っていられるのです。彼のボールコントロールのうまさは。こんなところで訓練されていたのですね
 聞くところによると3番アイアン1本で、ドライバーの飛距離を飛ばすことからバンカーショットまで練習していたといっていました。全英オープン優勝2回、マスターズ優2回は、当然のこと、他に世界各ツアーで50勝。日本オープンにも2連勝しています。
 彼はあまり裕福でないスペインの片田舎出身ですが、貧乏だったゆえ、クラブ買えずこんな練習で腕を磨いていたのですね。
 その後ジャマイカでの1995年世界ゴルフ選手権、セべがキャプテンを務めたバルデラマで開催された2002年ライダーカップの際に元気な様子を見ました。結局それが彼の雄姿を見た最後でしたね。とにかく世界で最も華のあるプロゴルファーだったと思います。
ご冥福をお祈りします。合掌。

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