あるゴルフイラストレーターへの追悼 2012年12月6日木曜日 17:13
11月18日三平が、35年以上もの長い間、仕事に、お酒に、たまにはゴルフにと、お付き合いさせていただいたイラストレーターが亡くなくなりました。その報に接した時は、亡くなった翌日日曜日、関西のあるゴルフ場で運営の会議をやっていた時でした。実に寂しい思いをした瞬間でした。そのあとの会議の内容が頭に入らない。過去の彼とのあれこれが、次々に頭に浮かんできて、つらかったですね。
その名前は、嶋口信義氏。三平が会った時は、テニスの専門イラストレーターでした。ある出版社に編集者として働いていた時代に、突然嶋口さんの事務所に行き、
絵を描いてくれませんか?と訪れたのが最初でした。ずいぶんと生意気な若造が偉そうに絵を描いてくれ、と来たよなあ、と後年酒の肴にされたことがありました。それからかれこれ、35年。一回りも年上の嶋口さんには、なぜか最後までため口でした。それを許してくれていたんですね。そして彼の一生の仕事を変えてしまったのも三平でした。テニス専門のイラストレーターと知っていながら、「ゴルフ場を描いてみない?」とある時、薦めたのです。知り合って2年目ぐらいの時でした。「ゴルフなんてやらないから、描けないよ」と断るのを、むりやり描いてもらったのです。あるゴルフの雑学の本でした。しかし、彼は、そのあと、三平の知らないところでゴルフ始めていたんですね。ゴルフを描くにはゴルフを知らないと描けない、と思ったのでしょう。三平には、内緒でやってみたようです。これが彼がゴルフに病みつきになるきっかけとなったのです。その後、三平がゴルフの世界に転身するのを知っていたかのようでした。
三平がゴルフに転身した後は、様々な仕事をやってもらいました。マナーポスターやプロデュースしたゴルフ場の各ホールの絵、連載していた雑誌のイラスト、プロトーナメントのポスター、ポロシャツやTシャツの絵柄模様など。
三平が取材でスコットランドに行くと知ると、同じ飛行機を予約して勝手についてきました。そして三平が日本に帰った後もスコットランドに残り、あちこちのゴルフ場の旅をしていました。そこまでゴルフに夢中になっていたのです。そしてその集大成が、オールドマンパーというマスコットキャラクターを生み、その絵の展開を初めたのです。何度も個展を開き、カレンダーを作成し、いつしかかなりのファンが存在するようになったようです。
私が最後にお願いしたのは、世界デフゴルフ選手権のポスターでした。いいポスターを作ってくれました。亡くなる3日前に、世界デフゴルフ選手権のポロシャツを送るからね、と伝えたばかりでした。元気な声で「オウ、いいね。頼むよ。それ着て暖かくなったらゴルフやろうか」とも言ってました。
残念ながらそれもかなわないものとなりましたが、三平の心のどこかで、生きているような気がします。彼を思い出しながら、仲間の古さんとでも飲んで思い出話をしようと思います。ありがとうございました。合掌